三回忌

二年前の今朝、父親が亡くなった。月日っていうのは残酷な魔法の薬。

淋しかったことさえ忘れてしまいそうな慌ただしい毎日の中、父と義父のお仏壇に「なむ〜」と手を合わせるのが精一杯ってとこかな。

たった数ヶ月だったけど実家で皆で父を看て、家族皆の中で息をひきとった。

介護やってなかったら、こうはできなかったんだろうなとつくづく思う、安心して家にいてもらえたんじゃないかなって、父なりに。
ちょー、わがままな人だったから入院なんて絶対無理だと思ってたけど、好都合にも病院の方から見捨ててもらえたんでかなり気楽だったかな。

何も後悔はないし、淋しくはないけれど、だけど時々無性に会いたくなる。
生きてる時は顔みるのも、めんどくさかったのにね(笑)

一番学んだことはやはり家で看取るという事、それと医療の在り方。

家で看取る、私が小さい頃はどこのおじいちゃもおばあちゃも家で死んだ。
医療が発達し病院で亡くなる人が大半になり、今は施設での看取りも普通になった。
大変だったんだろうなぁ、昔の人はとつくづく思うが、当たり前としていたから普通にできたのかな?現在の環境ではむつかしい。でも自分ちで死ねたってことは幸せだったかもしれない。
病気も正解にはわからないし検査もないし、なんだか死ぬまで生きてた感あり、みたいに思える。
私達、介護に携わる者、とくにケアマネは自宅で死ねるコーディネーターのような気がした。但し自宅は嫌という人ももちろんいるよね。
それにはやはり理解ある主治医がいるんだよな。

口では、「自宅で最後をむかえるために!」なんていいながら、責任問題に逃げたり、もはや自宅でまして素人が看るなんて無茶だとさえ言う。その人らしい死をなんて、叶えてくれるお医者さんいるの?とさえ思った。

父は気づいた時は末期ガン、余命ゼロからの闘病だった。病院の医師はパソコン見てても父の顔はみたことなかった。もう一人の医師は告知しないなら診ないといった。「能天気な父だからこのまま知らせたくない」と言ったら「そんなこと僕には関係ない」と言った。
その時、姉と二人で看ると決めた。

あんきの協力医の先生が主治医になって下さり、実家の近くの診療所の先生も最大限の力を貸して下さった。
だから、できた。
迷いもあった。家族の葛藤もあった。
でも、父が最期まで苦しまず人間らしく生きられたことが誇りに感じられたんだ。
今日でまる二年。

今どこで、笑って皆をみているのかな?

私はあれから本人本意から、介護してい
る家族の気持ちもすごーく、考えるようになりました。
今日はお墓参り行けなかったからまたね、おじい!

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父の命日に生まれた私の孫、やんちゃでおちゃめが私似かな?

2014年07月13日(日) 16時19分58秒 from あんきの小町