恒例、代田のお神輿
朝晩冷んやり…でも日中は結構残暑ざんしょ???
今日は代田のお神輿がやってきた。毎年のことだけど「わっしょい、わっしょい」、盛り上がる!
毎年誰か代表を決めてご祝儀をわたすんだけどね、今年はあみだくじにしようと早速クジ引き!
とうせんしたのはたっちゃでした!




お神輿が行ってしまった後も、秋風の気持ちよさになかに
ちらし寿司
ショート利用のふきばあちゃんが元気ない!
今回は歩行もままならない。全てにおいて全介助…どうしちゃったの?って感じでかなしくなってしまう。
食事もなかなか食べれない。どこかつらいんだろうね。
そこで、かすみがいいました。「好きなもの作ってあげよ」
ふきばあちゃんが好きな物はちらし寿司!
なのでがんばりました。

レンコンと人参、では参ります


かすみが撮影したので、肝心のふきばあちゃんが美味しそうに食べてるショットがありません
残念
帰省
昨年は父の新盆だったけど、アクシデント来襲で最後まで見送れず、おまけに家族に迷惑かけてしまったので今年はお盆の送り火まで実家で過ごしたのです。

私の実家は過疎の山奥。人口も減少し、多くは年寄り。母も一人でそんな中くらしてる。
今年は雨続きで帰省する人も少なく感じた。
そんな中、一発だけスターマインが上がったのだ。
近所のおじさんが「七時に一本だけスターマインがあがるぞ」とおしえてくれたので、橋の上から目の前でうちかげられるスターマインを見た。
それはそれは、感動ものだった。なんだか、久々胸キュン
でっかい事がすきだった、おとーちゃも、やさしかった川原のおばーちゃも皆喜んでるだろうな!
ふるさとの短い夏はこうしておわるのです。
まだまだ暑い日が続くけど、夜風は少しひんやりです。
あんきの夏祭り
盛大に、開催されたのです。
例年の焼き鳥あり、フランクルフルトあり、焼きそば、そして名古熊カラオケクラブの小林さんが仲間を連れてきてくれて夏祭りらしく盛り上がりました。
途中から雷雨でみんなビッショリ!これもまた、思い出になるんだよねって、最後までみんなで盛り上がりました。


流しソーメンも子どもたち大喜び
近所の皆さんやご家族の皆さんもたくさんきてくださいました。ありがとうございます。みんな、濡れちゃったね。

一緒に五平餅ないてくれた利用者さんの息子さん!来年も約束しました。
暑い夏乗り越えて、またがんばれるね!
皆さん、お疲れさまでした‼︎
今年も
夏野菜が豊富なあんきの畑です。
午前10時のお茶に採れたての野菜で浅漬けをと、収穫に。
これが籠いっぱいのキュウリの山。楽しくなっちゃって、農業の楽しさってなんだか踏み込んだらはまるんだろうなって思ったりして。
ここまでの大変な苦労はマッチぁんなのにさ!
で、今日はカス揉みにしたら、みんな喜んでくれたの!
連日の猛暑にまいりそうだけど、採れたてキュウリとお茶飲んで、熱中症には負けない!!

約束のあさひやへ
加藤さんと飲みにあさひやへ!口約束はいたしません!
できうる限り、はたします!
だから夕方五時出発、あさひやさんは人気店だから、木曜を選び、夕方早めに出来れば一番乗りでいきたかったのです。

いい感じでしょ!
まさか、またあさひやへ飲みに来れるとはおもわなかった、と感慨深く温燗と手羽先でまず一杯。


私は今日は運転手なんで冷たいお水と手羽先、モモ肉、砂肝も笑
お店のご主人も感激してくださいました。
私も昔からあさひやさんは大ファンだけどご主人がニコニコ笑ってるの初めて見たよ!
加藤さんに今度はどこにしようかと聞くと「徳山」と!
つーだねぇ、やっぱり!(飯田で一番人気の老舗焼肉屋さんです)
私の行きつけとかぶるんだなぁ。きっとどこかで一緒したことあるんだろうなあ、とつくづく思う今日この頃…。
三回忌
二年前の今朝、父親が亡くなった。月日っていうのは残酷な魔法の薬。
淋しかったことさえ忘れてしまいそうな慌ただしい毎日の中、父と義父のお仏壇に「なむ〜」と手を合わせるのが精一杯ってとこかな。
たった数ヶ月だったけど実家で皆で父を看て、家族皆の中で息をひきとった。
介護やってなかったら、こうはできなかったんだろうなとつくづく思う、安心して家にいてもらえたんじゃないかなって、父なりに。
ちょー、わがままな人だったから入院なんて絶対無理だと思ってたけど、好都合にも病院の方から見捨ててもらえたんでかなり気楽だったかな。
何も後悔はないし、淋しくはないけれど、だけど時々無性に会いたくなる。
生きてる時は顔みるのも、めんどくさかったのにね(笑)
一番学んだことはやはり家で看取るという事、それと医療の在り方。
家で看取る、私が小さい頃はどこのおじいちゃもおばあちゃも家で死んだ。
医療が発達し病院で亡くなる人が大半になり、今は施設での看取りも普通になった。
大変だったんだろうなぁ、昔の人はとつくづく思うが、当たり前としていたから普通にできたのかな?現在の環境ではむつかしい。でも自分ちで死ねたってことは幸せだったかもしれない。
病気も正解にはわからないし検査もないし、なんだか死ぬまで生きてた感あり、みたいに思える。
私達、介護に携わる者、とくにケアマネは自宅で死ねるコーディネーターのような気がした。但し自宅は嫌という人ももちろんいるよね。
それにはやはり理解ある主治医がいるんだよな。
口では、「自宅で最後をむかえるために!」なんていいながら、責任問題に逃げたり、もはや自宅でまして素人が看るなんて無茶だとさえ言う。その人らしい死をなんて、叶えてくれるお医者さんいるの?とさえ思った。
父は気づいた時は末期ガン、余命ゼロからの闘病だった。病院の医師はパソコン見てても父の顔はみたことなかった。もう一人の医師は告知しないなら診ないといった。「能天気な父だからこのまま知らせたくない」と言ったら「そんなこと僕には関係ない」と言った。
その時、姉と二人で看ると決めた。
あんきの協力医の先生が主治医になって下さり、実家の近くの診療所の先生も最大限の力を貸して下さった。
だから、できた。
迷いもあった。家族の葛藤もあった。
でも、父が最期まで苦しまず人間らしく生きられたことが誇りに感じられたんだ。
今日でまる二年。
今どこで、笑って皆をみているのかな?
私はあれから本人本意から、介護してい
る家族の気持ちもすごーく、考えるようになりました。
今日はお墓参り行けなかったからまたね、おじい!

父の命日に生まれた私の孫、やんちゃでおちゃめが私似かな?


















